訪れた場所は都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目駅」。ここは、toitaさんのブログ『
向島mono』でアップされていた写真を見て以来、実際に行ってみたかった場所。
大江戸線「本郷三丁目駅」パブリックアート |
東京の地下鉄駅構内には著名な作家によるものや、その地域性や地域の歴史などに関連した様々なパブリックアートが設置されています。大江戸線「本郷三丁目駅」では、この半世紀の間に日本の詩人に詠まれた詩から選出された48編の詩句を、壁に一行で刻印し、その下にカラフルな帯板と交互に配したものが設置されています。
住 所 : 東京都文京区 本郷2-40-8(本郷三丁目駅)
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写真をご覧いただいておわかりのように、改札を入らないと近くで撮影することができず、かと言ってこれを撮るだけに入場するのも何なので、離れた場所から遠巻きに撮ることしかできませんでした。
「本郷に来たついでに」と、よく調べず思いつきで急遽ルートに加えたため、わざわざ地下まで降りたのに、「カラフルな詩のパブリックアートと寄りかかるA-chang」という欲しかった画が撮れないという、残念な結果となりました。
何しに地下に降りたのか?
頭にクエスチョンマークが浮かぶ中、再び地上へ。
続いて訪れたのは、本郷三丁目交差点角に「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と看板がある洋品店のかねやす。その下にあった説明版の内容を前回に引き続き、何が書かれているのか気になる方も、読まれる方もいないとは思いますが記載しておきます。(要は江戸城からここまでが江戸という内容)
かねやす |
享保年間(1716~1736)、現在の本郷三丁目の交差点角に、兼安祐悦という口中医師(歯科医)が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大評判になり、客が多数集まり祭りのように賑わった。
享保15年(1730)大火があり、防災から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は、塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じ瓦で葺くことを許した。江戸の町並みは本郷までが瓦葺が続き、それから中仙(中山)道は板や茅葺の家が続いた。
その境目の大きな土蔵のある「かねやす」は目だっていた。
『本郷も かねやす までは江戸の内』
と古川柳にも歌われた由縁であろう。
芝神明前の兼安との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行なった。それ以来本郷は仮名で「かねやす」と書くようになった。
(文京区教育委員会)
住 所 : 東京都文京区 本郷2-40-11
最寄駅 : 都営地下鉄大江戸線・東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目駅」徒歩1分
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本郷三丁目交差点近くの、かつてはここ一円に菊畑が広がっていたという菊坂へ。菊坂は本郷三丁目交差点近くから言問通りまで600メートルほどの「えっ?ここ坂なの?」って思うくらい緩やかな坂です。その菊坂通りに入るとすぐの所に『文の京 一葉文学のまち』の案内板があります。この案内板によると、ここ周辺は樋口一葉の縁の地とのことらしいのですが・・・。
ということで今回はここまで。
これから文人が暮らした近代文学の香が残る坂の多い街を歩いて行きます。次回、あの人の旧居跡が登場!楽しみな内容でないことは重々承知してますが、お楽しみに!
今週のBGM
くるり 『
春風 』
SOFFet 『
春風 』
文京区本郷にある菊坂。この坂もまた、実に走りたくなる坂である。